Himatsubushi

気ままに休学中のこと書きます。

硫黄島に行って来た話 その② 島の景観編

 

入間基地で自衛隊の輸送機に乗り込み、決して座り心地が良いとは言えない椅子に座って飛び続けることおよそ2時間半。何もなかった大海原の中にポツンと1つ、島が見えてくる。これが硫黄島だ。

 

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硫黄島沖縄県宮古島とほぼ同じ緯度に位置しており、年平均気温は24度と高い。暑い時には40度を超える日もあるようだ。

 

私が降り立ったのは9月下旬だったのだが、それでも日中は30度以上もある上に紫外線が非常に強く、真っ黒に日焼けして帰ることとなる。

 

初めて硫黄島の景色を目にした時はとても驚いた。

日差しは大変強く、少し出歩くだけでも汗をかいてしまう。しかし日陰に入ると風が吹いていて心地よい。少し高いところへ上がれば一面に海が見渡せ、遠くに見えるのは南硫黄島のみ。ひたすら真っ青な海と雲ひとつない空が広がっている。至る所から鳥の囀りが聞こえてきて、そよ風で草木が揺れている。時折少し痩せ気味の猫を見かけることもある。急ぐ人もおらず、車もたまに通りかかる程度で本土の喧騒さとはかけ離れた、とてものどかな島である

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だが、宿舎や滑走路のある場所から少し離れると、至る所に日本軍が掘った壕の跡があった。また、海岸付近にはまだ機関銃の残ったままのトーチカが残っていた。

そしてその壕やトーチカとともに、そこで戦われた部隊の名が書かれた墓標も建てられていた。

 

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銃身の曲がった機関銃が残るトーチカ

 

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アメリカ軍のシャーマン戦車

 

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 銃弾が刺さったままになっている

 

まるで72年前からこの島だけ時が止まってしまったようである。

 

当時の日本人が掘った地下壕にも入らせていただいた。入り口は非常に狭く、中にはトラックが入れそうなほど広い壕もあるが、かがんで歩かなければならない場所もあった。

また、活火山による火山活動により、至る所から硫黄が吹き出ている。そのため場所によっては壕の中は60度近くのサウナ状態のものもある。

 

壕の中には、ヘルメットや水筒、やかんや食器などが残っていた。

 

比べるわけではないが、映画『硫黄島からの手紙』で出てきた壕とは大違いだった。

 

 

この島で2万人以上の日本人が亡くなったのだ。

 

 

 

本来なら立ち入ることができない島であるが、私が今回降り立ったのは、未だ眠られたままとなっている日本人のご遺骨をお迎えするため、遺骨収容派遣を行うためだった。

 

 

〉〉〉〉〉〉続く