硫黄島に行ってきた話 その③ 遺骨収容の現状とこれから
みなさんこんにちは。需要あるのかないのか硫黄島シリーズ。
今回で最後にしたいと思います。
まずはこれまで読んでいただき、またこの記事にも目を通していただきありがとうございます。
擂鉢山から見た南海岸 めっちゃ綺麗でした
これまで硫黄島の歴史などについて触れてきましたので、今回は本題の遺骨主要活動について。
改めて、硫黄島には現在、海上自衛隊・航空自衛隊の基地があるのみで、民間人は住んでいません。一般の渡航は禁止されています。
民間人が硫黄島に行くには、
2. 硫黄島にある建設会社で働く
3. 厚生労働省の慰霊巡拝に参加する
4. 遺骨帰還事業に参加する
などというものが挙げられます。
私は今回、遺骨帰還事業に参加し、訪れました。
島には未だ当時の兵器や壕、トーチカなどが残されていました。
そして何よりも、1万以上の英霊のご遺骨が残されたままとなっています。
島の中に無数にある地下壕やトーチカなどを探し、ある程度目星をつけておきます。
とはいっても70年以上昔の壕ですので、大抵が米軍に埋められてしまっているor自然崩壊してしまい、土砂が詰まってしまっています。
そのため、収容活動の第一歩は壕に溜まった土砂を掻き出す作業から始まります。そしてご遺骨が眠っていると思しき場所になると、そこから掻き出した土砂を篩(ふるい)にかけていきます。
ご遺骨は完全な形で見つかることもありますが、骨片として見つかることも非常に多いため、石や珊瑚などと間違えないよう慎重に確認していきます。
今回の派遣に関しては、お一人の方のご遺骨をお迎えすることができました。
しかしトータルで見ると未だ1万以上のご遺骨が残っています。
日本政府は、遺骨収集推進法を定め、平成36年までを遺骨収容活動の集中期間と定めました。
73年も経ってしまったため、残されたご遺骨は非常に状態も悪くなってしまい、これ以上経つと完全にお迎えすることも難しくなってしまうため、日本政府はこの法案を可決しこの期間で残されたご遺骨をできるだけ全てお迎えしようと考えました。
平成36(2024?)年といいますと、残り8年ほど。アジア太平洋地域の戦地には未だ100万柱以上のご遺骨が残されており、多くの方が帰還事業に取り組んでいます。
硫黄島に関しては、残り1万柱以上のご遺骨が残されています。
例年の派遣による収容柱数を見ていっても、1度の派遣に一桁。年に4回行われているので、毎年おおよそ10~20柱収容することができるかどうかという現状があります。
さらには遺骨収容活動に参加されているご遺族の方の高齢化も進んでいます。
ご遺族の方・戦友の方がご存命の間にご遺骨をお返しすることがもっとも重要だと思っています。
この活動を誰が今後引き継いでいくのか。集中期間が終わってしまっても続けることができるのか。これから長いスパンで考えていくと、難しい部分も多々あるように感じました。
自分としては、今後も是非関わらせていただくことができればと思っています。
そしてこのことは、これから日本という国の躍進を担っていく一部になる身として、決してこの歴史が風化することのないように、日本人として心に留めておきたい事実の一つだと思っています。
戦争で戦った人に正義も悪もないです。
ただただ私たちの国を・子孫を守るために国防の最前線で戦い、今では到底考えることのできないような環境下で敵を食い止めて下さった人たちがいること。
その他にも世界各地で国を守るために戦って下さった人たちがいたことを少しでも心に留めておくだけでも良いのでみなさんに知っておいてほしいと思って、何度かに渡り硫黄島のことを書かせていただきました。
これからより良い日本を、平和な社会の実現を目指していけたらなと思います。
幾重にもわたり硫黄島のことを書きました。もう見飽きたよという方もいらっしゃる中、最後までこの記事を読んでくださり、本当にありがとうございました。
追伸:就活終わったら2QあたりにAPUに帰ります。あと12単位くらい。。。英語開講も頑張ります。。。友達少ないからよろしくね。。。
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